2015年5月6日水曜日

目からウロコ




昨日の晩、つけっぱなしにしていたラジオから流れて来たショパンのピアノ協奏曲第一番の演奏。

冒頭のオーケストラ前奏のワンフレーズから、、、驚愕!

耳が全く離せない!!!

ソリスト、というより、最初は指揮者の名前が知りたくてうずうずしながら聴いていました。
だって、この協奏曲のオーケストラパートが、これほど細部にわたって考え抜かれ、丹念にリハーサルされ、各パートが朗々と歌い上げている演奏なんて、今迄聴いたことなかったですもん!!!

でも、聴き進めば進む程、オーケストラパートとソリストパートとの間の音楽観の一貫性と、凄まじい一体感を感じ、、

「これは、歴史的に相性の良い指揮者&ピアニストの演奏か、あるいは「弾き振り」かのどちらかだろうなあ。」

という結論に。

果たして、演奏終了後のアナウンスは、、、、

「クリスチャン・ツィメルマン弾き振りによるポーランド音楽祭オーケストラとの録音」

慌ててネットで検索してみると、、

15年以上前にリリースされたこの録音は、いまや「歴史的名盤」の仲間入りをしていたのですね。いやぁ〜、、存じ上げませんでした。。。(汗)




私は昔からどうも「奇をてらった恣意的な演奏」というのが苦手なのですよ。。

「ちょっと変わった事をしてやろう」とか
「世間で出回ってる解釈の裏を突こう」とかいう風に、

相対的に導きだした確信犯的なアイディアで構築された作品や解釈は、エンターテイメントとしては機能するかもしれませんが、芸術とは全く異なるものだと思うのです。

真の音楽的アイディアというのは、やはり自分の内部を凝視することによってしか得られないと思いますし、

作品と対峙することによって自分の内部からわき上がって来た心の叫び、あるいは作品と自分の間に生じた共鳴を通じて、作曲家のメッセージを聴衆の心に届けるのが演奏家としての誠実な在り方だと考えております。

ツィメルマンさんのこの録音は、ショパンの協奏曲を聞き慣れた方々にとったら、かなり!風変わりな演奏と言えますよね。テンポの設定からフレージングの細部に至るまで、何もかも(笑)。

でも、私にはこの演奏が「奇をてらった」ものであるとは全く感じません。
多分ツィメルマンさんが、時間をかけてこの作品に取り組んでいく過程で、自然とこのような解釈になった気がします。

それに、何と言ってもこの演奏の端々からは、ツィメルマンさんの作曲家と作品に対しての、ひいては「音楽」そのものに対する深〜〜〜い敬意と溢れんばかりの愛を感じますもの。。

演奏を聴きながら

「ああ〜、まだまだ私は音の1つ1つを祖末に扱っているし、解釈に対する姿勢も甘いなぁ〜。それに何より愛が足りてない!!!」

と猛省したのでした。。。


最近のクラシック音楽界は、ビジュアル化がどんどん進み、、、

綺麗なドレス着た美人のお姉さんや、タキシードがバッチリ決まった美青年くんが、スポットライトを浴びて観衆に黄色い声で騒がれ、もてはやされるのはよいが、、、

れじとん(旦那)の言葉を借りれば

「このピアニストと、クラヴィノーヴァの自動演奏の間には、一体どういう違いがあるんだい?」

というような気持ちになる事もたびたびあるのは事実です。


私は綺麗なドレスの似合う美女とはほど遠い、ヒョウ柄の似合いそうな大阪のオバちゃんですけど(笑)、

芸術行為とは違う部分でもてはやされ、人気者になったとしても、きっと幸せを感じないだろうなあ。。。

ツィメルマンさんのような境地に少しでも近づけるようになりたいものですね。

音楽作品に心揺り動かされ、音を通じて人に何かを伝えたいという気持ちが強くあって、また、それができる環境に恵まれているのだから、一生可能な限りそれを究めてゆければ本望です。

しかし道は遠し(亀のノロイ(笑))。。。。。。

とりあえず明日の演奏会、頑張ろ!!(笑)